株式会社ヨシノ自動車

トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第1回

UDトラックス株式会社 国内車両営業本部 ボルボ・トラック・ジャパン
現職:UDトラックス株式会社 ボルボ・トラックセールス バイスプレジデント

関原 紀男 様

UDトラックス株式会社
国内車両営業本部
ボルボ・トラック・ジャパン
現職:UDトラックス株式会社 ボルボ・トラックセールス バイスプレジデント

関原 紀男 様

「我々はボルボ・トラックの何を売ろうとしているのか」

ヨシノ自動車がボルボ・トラックの正規ディーラーとなって17年が経ちました。ボルボのトラックは世界でも最高クラスの安全性と技術が凝縮されています。とはいえ、日本のマーケットは長らく国産トラックメーカー4社による独壇場でした。そのマーケットに海外メーカーのトラックを導入し、販売してきたここまでの道のりは決して平たんなものではなかったと言えます。そんなディーラーとメーカーの「日本にボルボを走らせたい想い」とは?記念すべき第1回目はボルボ・トラックのメーカー担当者である、セールスダイレクターの関原紀男氏との対談が実現。メーカーと販売店という、普段なら公になることはない両者の関係において〝ボルボ・トラックを日本に走らせる意味〟が見えてきました。

写真・薄井一議
デザイン・大島宏之
編集・青木雄介

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メーカーはヨシノ自動車をこう見ている。

____まずボルボ・トラック正規ディーラーとしての、ヨシノ自動車について教えてください。

関原:まず経営者で言うと、お父様(現会長)と社長(中西俊介)では、私の中ではキャラクターが全然違うように映ります。販売店という意味では非常に経営に安定感があって、地元にもしっかり根付いているのがヨシノ自動車のイメージ。お父様はボルボのディーラー会の要職につかれて、6期12年ぐらいされているはずです。とにかく人望が厚く、現場に多く口出しをするタイプではない。一方、俊介さんは、社内でボルボ・トラックをより売るための新しい施策を次々と提案されていらっしゃいます。俊介さんは非常に新しいタイプの若手経営者というイメージですね。我々も企業として利潤の最大化にスピード感を持って追い掛けて動いているので、すごく話がし易い印象ですね。

____なるほど。親子でもタイプが違うんですね。

関原:世代交代を、良いタイミングで成功されている会社と感じます。実際、ヨシノ自動車は販売実績でも常に優秀なディーラーであり、我々が特に力を入れているディーラーのひとつでもあります。それは常に、「ボルボ・トラックをどうやったら売れるか」という意志を強く持っていただけているのが理由でしょう。ボルボ・トラックは商用車では世界最高峰と言われているメーカーであり、現在販売しているFHもフルモデルチェンジ以降、マーケットでは反響が大きく、お陰様で引き合いも増えています。それに対応しようとすると営業マンはそれなりに必要ですし、サービスに力も入れなければお客さんも逃げていきます。そのような市場環境の中、正規ディーラーとしての責務をしっかり全うしていただいているという印象ですね。

____正規ディーラーへの期待値は相当に高そうですね。一方、ヨシノ自動車にとってもボルボの正規ディーラーであることの意味は相当に大きいと思うのですが。

中西:そうですね。ヨシノ自動車は正規ディーラーですが、資本は関係なしに販売協力店であっても、ディーラーの看板を背負っているのは一緒だと思うんです。まず正規ディーラーのプラスの材料でいうと、ボルボの正規ディーラーという名刺を出せば神奈川県内以外でも「ボルボのトラックのディーラーをやっているんだ」と分かってもらえる。会長がボルボの正規ディーラーを始めた理由の中には、ボルボのブランドによって社会的な信頼性を得るという面が、少なからずあったと思うんですよ。これで知名度、信用力、ブランド力がボルボの看板を掲げることによってあがる。片方のデメリットは、その分の責任を負わなければいけない。販売協力店であれば、トラックを売りはするけど不具合が出たら「メーカーに直接言ってくださいね」と言えるけど、正規ディーラーだとそうはいかないですね。ちゃんと責任をもって対処しなければいけない。僕がヨシノ自動車に入った13年前では、整備の体制もまだまだ町の整備工場と変わらないレベルの体制でしたから。

ボルボ・トラックを扱うプライドと職人気質

____確かに、ボルボのトラックを町の整備工場に入れる気はしないですね。メーカーもディーラーの整備工場の技術は気にかけなければいけないところですね。

関原:はい。ボルボ・トラックが採用している技術は、商用車では世界で一番進んでいると言って過言ではありません。一般の工場で、特に電装系統を直せるかと言うと難しいんですね。ディーラーとしては当然、PCによる診断で不具合箇所を特定していく作業が当たり前に出来ないといけない。そこがヨシノ自動車のサービスのレベルであれば間違いない。社内で我々のエンジニアが、「ヨシノ自動車さんから問い合わせが半年以上来ていない」と心配しており、「もっと気軽に訊いて欲しい」と言っていましたね(笑)。ヨシノさんの現場のメカニックからすると、「メーカーに聞かなくても、自分たちだけで直したい」という、それぐらいの意地でやられているということですね(笑)。

中西:それもどうかと思います(笑)。ヨシノの現場もいますごく若返りしていて、一番上のメカニックが41歳でトップにいるんですよ。他はみんなそれ以下の年齢にも関わらず、若手の気質がすごく職人気質だったりするんです。実は私の前の会長時代にいたメカニックも、みんなとにかく頑固だったんです(笑)。「見て学べ」という精神ですよね。彼らが定年で会社を去っても、その下で働いていた現在の工場長も若手も同じ気質を受け継いでいる。時代は関係なく職人気質は変わらないんですね。それは最近分かりました(笑)。

____面白いですね。日々研究しているからこそ素直に訊けない職人気質というのは分かる気がしますね。やはりメカニックにとっても、ボルボのトラックを扱うことはプライドなのでしょうね。

中西:はい。ボルボは憧れでもあるんですよね。中途で採用した非常に優秀な若手のメカニックは、もともと国産メーカーのメカニックでした。他にも理由はあるにしろ、「ボルボを扱ってみたい」という気持ちでヨシノを受けたようです。実際、弊社に入社してくるメンバーに同じ動機のメカニックが多いのは事実ですし、実は来年、初めて女性のメカニックが入社することになりました。その子の出身校とは毎年、何人か採用するように提携していまして、その学校でも企業説明会や工場見学を毎年行っているんです。その彼女は他にも国産の大手自動車メーカーがいくつも候補対象に入っていたようなのですが、ヨシノの工場を見て「入りたい」と言ってくれたんです。その理由のひとつはボルボでした。ボルボにトラックがあったことも、ヨシノに見学に来て初めて知ったようです(笑)。ちょうどそのときボルボのキャビンの載せ替えか何かでエンジンをおろして、分解していたようなんです。整備学校で見る自動車のエンジンに較べて、とにかく巨大なエンジンや過給器に圧倒されたみたいで、それが心に残っていたらしいんですね。

関原:女性メカニックのための更衣室とかは用意されたのでしょうか?

中西:来年に向けて、これから作る予定です。それ以外でも本社業務で女性は多いので、社員寮をつくるついでに女性専用の更衣室や休憩室を作るつもりでいます。

関原:そういうお話を聞くと更に感心させられます。時代の潮流を読むのは簡単なことですが、既に実行に移されているのは本当にすごいことですよね。

我々はボルボの何を売ろうとしているのか?

____確かにそうですね。あらゆる面で男性社会のトラック業界で、ジェンダーフリーな取り組みは私も初めて聞きました。さて話をボルボのトラックに戻しまして、中西さんは日本の運送業界にボルボのどんな魅力を提案していきたいと考えていますか。

中西:現在、「ボルボが欲しい」というお客様は非常に多いので、その中から売り先を審査の上で選択させていただいている状態です。僕はいつも「ボルボは間違いなく最高峰と伝えなさい」と、弊社の営業には言ってます。日本における運送業界ってあんまりいいイメージがありませんよね。労働環境は厳しいし、賃金も仕事量に見合っているとはいえない。昔のように、胸を張って「プロです」と言えるドライバーがどんどん少なくなってきているのかなって気がするんです。トラックのドライバーとは、本当はそういうプライドをもってすべき職業であり、そこを大事にしなければいけないのではないかと僕は個人的に思っているんです。そこに一役買えるのが「ボルボのトラックじゃないかな」って思うんです。今後は、もっと大きな企業さんにもボルボを導入してもらいたい。例えば100台もっていたら、10台導入してみるとか。100台あるとしたら100人のドライバーさんがいて、そのトップ10の優秀なドライバーさんがボルボに乗れるとか。その「ステイタス性をもたせる商材として売りたい」と考えているんです。

____間違いなく、ドライバーにとってボルボに乗れるのはステイタスですね。

中西:実際、現実的に、ここ数年はドライバー募集のためにボルボを導入する会社もあるんですよ。ヨシノがこれまでボルボを販売してきた運送会社さんは、ボルボで宣伝する意味合いもあったんですけど、最近では他の運送会社さんにも広がってきた感触はありますね。現実はまだまだ国産に比べて値段が高いし、昔のすぐ壊れる、部品が高い、しかも部品が来ないという悪いイメージが残っちゃってるところもあるので、そこをどう打破していくかが、現状の課題なんですよね。ですから2017年にはわが社が直近で力を入れているリースで、ボルボにメンテナンスの保証も保険も全部くっつけて、リース料を少しでも安くできるようなサービスを提供したいと思っています。もちろん安く売るつもりはないんですが、「これなら手が届く」という金額に収めたい。その商品づくりをいま急ピッチで検討しているところです。もう少しボルボの販路を拡げたい。ただあまり拡げて希少価値を失くことはしたくない。例えば東名のトラック専用レーンに大型トラックが並んでいるとき、ドライバーに「ボルボに乗っている」優越感をもってもらいたい。それが右も左もボルボでは感じられなくなってしまいますからね(笑)。

____ボルボは安全性能もまた世界一と言われています。ヨシノさんは特に現場でその実例に出会うケースも多いかと思いますが、どうでしょうか。

中西:はい。運び込まれてくる事故を起こしたボルボを見ているのでその安全性の高さは実感しています。例えばこれまでも何度か「普通なら致命的だった」という事故車両が運び込まれてきました。あるときはドライバーさんも社長さんも工場にいらっしゃって、その車両を眺めながら「ボルボで良かった」と感心していましたね。

関原:ボルボ・トラックを持たれている運送会社さんが不幸にも事故を経験されてから、他の車両もボルボ・トラックに切り替わっていくケースはよくあることです。ドライバーの命やご家族の事を考えると「高い」という話ではないと、事故に遭われたお客様は口を揃えておっしゃいます。先月だったでしょうか。下り坂で80キロぐらいで、高さ150cmぐらいのコンクリートの車両止めにノンブレーキで突っ込んでしまった事故が起きました。そのときもドライバーさんは擦り傷ひとつなかったと聞いています。まずはドライバーの安全が第一で、かつ「ドライバーが快適に仕事が出来ることが安全に繋がる」という思想が根底にあるのですよね。

第5の選択肢になる、ボルボを取り巻く日本の市場環境

____ボルボが持っているトラックとしての高いポテンシャルが、運送業界に広がっていくのは素晴らしいことですね。そんな最近のボルボの販売状況はどうでしょうか。

関原:ここ数年でボルボ・トラックは着実に台数を増やしています。ここ3年間でみると、対前年比で30%増しの伸び率で販売台数が増えてきています。中西さんもおっしゃっていたドライバー不足という点が追い風にもなっています。ドライバーを確保するためにボルボ・トラックを採用したい、または離職を食い止めるためにボルボを採用したいということです。それに加えボルボ・トラックの持つプレゼンスですね。荷主さんのトレーラーを引っ張るときに、ボルボ・トラックで引くことでステイタスを荷主さんに与えることが出来ます。その意味で、ボルボ・トラックのブランドとしてのプレゼンスが役に立っているのは間違いないですね。我々としては、しっかりとバリューを認めていただいた上で購買の選択肢に入れて欲しいと思っています。最近は国産の各メーカーも、自分たちが生き残るためにプレゼンスを持ち始めた気がします。この状況の変化は、ブランドイメージが先行するボルボ・トラックとしては望むところですから、非常にありがたい循環であり、市場環境と言えますね。

____最後の質問です。ボルボ・トラックにライバルはいるでしょうか?

関原:ライバルという意味では、10年程前にメルセデス・ベンツが撤退したときは、「戦いにくくなった」と思いました。やはり比べられる相手がいなくなってしまうと戦いにくいものです。今はその頃より輸入車のハードルが下がっているので、国産メーカーとも競合するでしょうし、「受けて立てること」を嬉しく思っています。ボルボ・グループでは「サービス出来ないものは売れない」という大前提があり、瞬間的に売れることよりも、その後の対応が大切だと考えています。商用車であるが故、ビジネスと信用に関わることですから迅速に対応しなければいけないですよね。その点、ボルボ・トラックは、ディーラーが24時間体制で寄り添える体制を作っており、UDトラックスも含めたネットワークも充実している。最近のボルボ・トラックは故障が少ないですし、パーツ供給も国産メーカーに変わらない評価をいただいています。しかし、いざ故障という時の評価をお客様からいただけているのは、ディーラーがサービスの向上につとめてくださっているからだと感謝しています。

中西:サービス拠点って大事ですよね。僕も正直、昔は「トラックってそんなに壊れるのかな」って思っていたんですが、年に10万キロも走行する車両ですからメンテナンスは欠かせませんよね。今日もそうなんですが、ヨシノが売っていないボルボが常にヨシノの工場に入っているんです。場所が川崎という首都圏の立地もそうなんでしょうけど、だいたい他県のボルボなんですよね。ウチが売ったボルボが他でお世話になっていることもあるだろうし、協力しあってメーカーを支えあうようなサービス拠点って大事だと痛感しているんです。

関原紀男(せきはらのりお)
1967年5月1日生まれ。2006年に日本ボルボ㈱へボルボ・トラック・ジャパン(以下VTJ)のフリートセールスマネージャーとして入社、2010年に日本ボルボ(株)とUDトラックス㈱が合併し、2013年にVTJのダイレクターに就任。2015年にはUDトラックスのプロモーション&セールスのダイレクターに就任し、現在は、ボルボ・トラックとUDトラックスの国内市場で、デュアルブランドを担当している。
現職:UDトラックス株式会社 ボルボ・トラックセールス バイスプレジデント

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