株式会社ヨシノ自動車

リーマンショック、そして共走へ

___リーマンショックのお話を詳しくお願いできますか。

リーマンショックの少し前に社長交代しているんです。2007年の6月ですね。4月決算なので、役員会をひらいて6月から社長就任してその9、10月でリーマンブラザーズが倒産して売上がガタ落ちになりました。社長就任わずか3カ月で、世の中の仕組みががたがたと崩れてしまったんですよ。だからよく覚えているんです。そのときはすごく売れなかったですからね。在庫を2カ月分の利益ぐらい処分したんですよ。さすがに心が折れそうになりました。そのときばかりは目先の数字を追ってましたね。

___そこから復活できた要因は何かあったのですか?

当時、不動産は相場の70%まで落としても売れなかったんです。どんどん値段は目減りしていく一方だったのですが、幸いにしてトラックはオークションサイトで換金することできた。要は買う人がいました。現金に替えることができた。リーマンショックの渦中にあるときは、どんどん相場が下がっていって、もともと買った値段を大きく割ってでも売らざるを得なかった。毎月の従業員の給与や固定経費はかかるので、現金に換えられるものはとにかく換えたんですよ。手元にある売る売らないは、そのときの勘の判断でしたけどね。そんな縮小した市場でも利益を出すことが必要だったので、片方で買うことも積極的にしていました。とにかく持ってたクルマを処分で出して、替えた現金で仕入れをして、それを売ってくことで利益を出すのに集中していました。ひどい落ち込みが2007年の秋だったのですが、翌年から相場が戻り始めました。だから相場が上がった状態で、それまで安く仕入れていた車両を販売できたので利益が出しやすかったんですね。そこで持ち直せた。

___そんなリーマンショックで教えられた部分も多かったのではないでしょうか。

今となってはですけどね(笑)。いい経験だったという一言になるかも知れないですが、あくまでも「自分の力量の中でやるべきことだけは逃げずに精一杯やって、それでダメなら仕方ないだろう」と腹を決めていました。後悔なく「仕方ない」と言えるようにするために必死になっていましたね。それ以外は「なるようになる」と思ってましたから。

___厳しい状況の中での、同業者による持ちつ持たれつもあったと想像します。その辺の考え方が「共走」に結び付いていたりするのでしょうか。

はい。ありますね。確かに市場原理で言うと、どうしても「食い合い」になります。市場がどんどん拡がるならそういう攻め方もあると思うんです。でも、すでにヨシノ自動車は元々から知っているお客さんに支えられている会社です。北海道から九州まで同じような同業者さんがいっぱいいて、大小規模の違いはあっても各々がそれぞれの分野でやっている業界です。私は最初にそれを見たとき「小さいマーケット」だなと思ったんですよ。小さいマーケットらしく同業者間の流通がすごく多かった。だから同業者間で食い合って、他を無くしちゃうとその分、「売上が減るな」と直感的に理解しました。ではその分、同業者が一つ減れば規模を大きく出来るかというと「そうではない」と思ったんですよね。

 ここに年商10億の会社があります。片方に5億の会社があります。じゃ10億の会社と5億の会社が合併したら15億になるかと言ったら、そうではないんです。どう見積もっても、11億か12億なんですよ。そこに一社、別の会社が存在しているからこそ、10億と5億の会社間で1億円の取引がある。それを差し引いたら9億と4億の会社。そういう業界なんですよね。トラックはどうしても会社によって得意不得意な車種があるんですよ。例えばヨシノ自動車はバラセメントのミキサー車は得意ではないので、そういう案件が来れば得意なところに話を振ります。そういうのが得意なところは冷凍車は得意ではなかったりするので、ヨシノ自動車に話を持ってくる。そういう関係性なんですね。私はそれが大事だと思っているんです。5年後、10年後に会社の規模を2倍、3倍にしていく発想よりも、とにかく30年続く会社を作りたかったんです。狭い業界、狭いマーケット、狭い同業者間の取引の中で「喧嘩しても仕方ない」と思ったんですよね。だったら分かち合えるような、お互いが切磋琢磨する姿勢の中で、お互いが補えるような繋がりをつくることが、お互いが永続的に成長できるスタンスなのかな、と。
 それはお客様もそうです。支えてあげるというのではなくて、ヨシノ自動車が得意なところで、御社が苦手なところを補います。そのかわり、こちらが苦手なことは御社が補ってください、という。その関係性が「共走」なんです。大が小を兼ねるとかではなくて。今月今年度が「これだけ売上があがりました」というのも大事ですが、私にとって大事なのは10年後も30年後も続いている会社。30年後も自信をもってあると言える会社が、私が経営者として一番大事にしているところと言えるかも知れませんね。