株式会社ヨシノ自動車

トラック業界”鍵人”訪問記 ~共に走ってみませんか?~ 第66回

愛宕自動車工業株式会社 代表取締役社長 愛宕康平様、専務取締役 愛宕和也様

愛宕自動車工業株式会社 代表取締役社長 愛宕康平様、専務取締役 愛宕和也様

「ここは“鍵人”達の車工場(社交場)! 九州から発信する、トラックの持続可能な循環型未来とは」

九州は大分の中津市に本社工場をかまえる愛宕自動車工業株式会社。敷地面積7612坪の広大な敷地ではトラック車体の製作、架装、メンテナンスをてがけ、販売業務も行っています。ジャパントラックショー2022ではファストエレファントとの協業でカスタムトラクタを製作し、話題となりました。そんな愛宕自動車の看板商品である“エコロジーボックス”、“リニボ”の成り立ちや経緯をひも解きつつ、工場の様子もレポートします。もうすぐ創業100年を迎えるトラック事業会社の現在と将来を展望していきます。

編集・青木雄介
WEB・genre inc.

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愛宕康平様:代表取締役社長
1975年生まれ。大分県中津市出身。東和大学卒業。1998年、愛宕自動車工業入社。2016年8月、代表取締役社長就任。現在に至る。

愛宕和也様:専務取締役
1981年生まれ。大分県中津市出身。日本工業大学卒業。2002年、愛宕自動車工業入社。2020年6月、専務取締役就任。現在に至る。

家族経営から始まった愛宕自動車

___まず最初に愛宕自動車工業株式会社の成り立ちを教えてください。

愛宕社長:私の祖父が大分県中津市に来て独立創業したのが昭和5年です。現在から92年前の話になります。その当時は自動車そのものがほとんどなかったらしいです。車といえばタクシーぐらいで、当時の車は骨格が木でできていて木骨ボデーと呼ばれていました。そこに薄い鉄板を巻いて釘で打っていたらしいんです。それだとやはり錆びますよね。その錆びた鉄板をはいで修復したり、当時のシートにはバネが多く入っていたのですが、そのバネを交換してスポンジを入れ直してビニールシートで覆うような仕事もありました。そういう仕事は私の祖母も手伝っていました。

___家族経営だったんですね。

愛宕社長:はい。そんな私の祖父が昭和31年に亡くなりました。当時、私の父は四人兄弟の長男でまだ14歳でした。それもあって一度、職人さん達は会社を離れて行ったそうです。「これじゃ飯食っていけん」と。そこで祖母が頑張って子供たちを育てながら、会社を守ってくれたそうです。私の父も学生なので学校に行っていても「久和、お客さんが来たから帰ってこい」と言われながら、会社の手伝いをしていたので、学生生活もままならなかったと聞いています。

___なるほど。

愛宕社長:そして昭和42年に会社を法人化しました。場所はもう少し中津市内寄りで、現在の場所ではありません。その時期に、一気にモータリゼーションが来ました。一家に一台自動車がある時代です。当時はなりたい職業ナンバー1が、自動車のメカニックだったような時代です。車が増えて仕事が増える。そういう時代だったので、若い人たちが学校を卒業して住み込みで働いていたそうです。昔は経済が成長していたので誰もが「自分も自分の工場を持ちたい」と思っていたとのこと。それで私の父親と同い年ぐらいの同世代の仲間たちが「独立をしたい」と言い出した時に、進んで独立の協力をしたそうです。

___それは珍しいケースですね。

愛宕社長:もしかしたらお金の支援もしたかもしれませんし、のれん分けというわけではないのですが、お前はマツダの仕事をしろ、お前は日産の仕事をしろと、お客さんを独立の餞(はなむけ)に託したらしいのです。その頃から父は「俺はトラックで行く」と決めていたそうです。そこが弊社の分岐点になったと思っています。

トラックで御礼を言える仕事を

___そこでなぜトラックと決めたんでしょう。

愛宕社長:それが分からないのです。ただ父がよく言っていたのは「物流は絶対になくならない」ということでした。そこからトラックの整備・鈑金・塗装・架装・販売を専門的に始めました。当時の道は良くなかったのでタイヤが脱輪して横転するとか、カーゴクレーンが普及した時代はフレームを折ってしまったり、クルマがねじれるというような事故が非常に多くあったようです。

___なるほど。

愛宕社長:それで九州でフレーム修正機を持つ、数少ない会社のひとつとなりました。当時、九州には3社ぐらいしかなかったようです。その後、昭和60年に現在の土地に引っ越しをしてきました。約1700坪の敷地を得て、そこからまた新たな変化がありました。トラックボディの製作に本格的に取り組み始めました。そもそも私の祖父の愛宕治雄が職人でもあったので、自分でダットサンの車を買ってきて手打ちで流線形のボディに造り直して展示会に出品したこともあったそうです。当時、小学生の父にとっては今でも誇りに思える思い出となっているようです。その当時から内張りは**にお願いする、ガラスは**にお願いすると言ったような分業があり、腕の良い職人さん達との交流があったようです。

___現在でいうところの協力会社みたいなものですね。

愛宕社長:そんな祖父の思いを父は表現したかったんだと思います。いちから創るものづくりを。少ないレパートリーですが当時はクレーン付きの重機回送車や、深ダンプやドライバンなどを手掛けていました。もちろん事故車の整備やトラックの整備も行っていました。ただ現在で言えばトラックの整備はやっているのですが、事故車の整備をほとんど行っていません。なぜかと言うと事故も減ったのですが、事故で損害をこうむったお客様に対して「ありがとうございました」とは言えないんですよね。

___たしかに御礼は言えないかもしれないですね。

愛宕社長:ですから自分たちから営業かけて取りに行くようなことはしなくなりました。私自身も社長になってから、そういった会社の歴史を踏まえつつ、何か新しい「愛宕らしい仕事をやりたい」と考えていました。近隣には同業他社が多くいる中で、愛宕自動車らしくありたい。それで誰にも迷惑はかけたくないのです。「愛宕自動車に仕事を取られた」とか誰にも言って欲しくないんです。だからこそ人が行っていない仕事を、それとお客様に対して「ありがとうございました」と言えるような仕事をひたすら模索してきました。その一つの形が弊社の看板商品である、エコロジーボックスだったりします。誕生を後押ししたのは、そういった思想があったからなのではないかと思っています。

両社に共通する競合しない姿勢

___よく分かります。トラック業界において競合しない姿勢はヨシノ自動車とも通じると思うのですが、中西社長はどう思われましたか。

中西: 愛宕社長とは付き合って10年ぐらい経ちますが、お祖父さんが職人だったというのは初めて知りました。この歴史的な経緯はとても良い意味で、愛宕自動車らしいんですよね。愛宕一族の考え方としても(笑)、それらしい。僕も同業の経営者に会っている中で思うのですが、経営者になった以上、誰もが会社を成長させたいわけです。売上を大きくしたり、拠点をより多くしたり。成長の尺度は人それぞれあるけれども、お客様に喜ばれるもので敵も作らないという考え方は自分も同じです。社長とは年齢が一緒ということもありますが、だからこそ初めて会った頃から今に至るまでお付き合いできているんだ、と思います。

___なるほど。

中西:ヨシノ自動車の社業は愛宕自動車とはちょっと違っていて社販ベースですから もっと敵を作りやすいんです。でもそこそこの規模感でありながらも、あまり敵は作らずにここまでこれている。自分でいうのも何ですけど、あんまりわが社がイヤだとは思われてないはずなんですよね(笑)。なぜなら我々はシェアを取りに行かないからです。インターネットが主力のツールになって北海道の人がトラックを九州で買ったり、九州から買ってきたトラックが関東で売られたりするのが普通になってきているので、販売ネットワークは多岐に渡るところはあるんだけれど、それは積極的に営業した結果ではないんです。見せ方を工夫して、そこに魅力を感じてくれた人との接点を大事にしてきた結果だと思っているんです。僕は傍から見ていて愛宕さんもそうだと思っているんですよね。

愛宕社長:その通りです。例えばうちの会社はメカニックの仕事をずっとしていると言いましたが、メカニックの仕事でも積極的に「弊社に車検整備をお願いします」というような営業はしていないんです。ではいま何の仕事をしているかと言うと、このエリアで日本にある多くの特装メーカーのサービス指定工場の認定を受けていて、その仕事をしているんですね。例えば日本フルハーフの車が故障すれば「愛宕自動車さんに行ってください」と言われる。

___なるほど。

愛宕社長:弊社が業務提携をさせてもらっているメーカー様が日本に30社ぐらいあるのですが、その仕事は絶対に我々の仕事として果たさなければならない役割だと思っているんです。その責任を果たせないのであれば指定工場の認定を受けることは出来なくなってしまいます。これは父の代から続いている仕事なので絶対に守らなければいけない。もう一つはヨシノ自動車ほどではないんですが、販売事業もしています。その販売事業で我々から買っていただいたユーザーのメンテナンスはちゃんとしていかないといけません。メンテナンス事業に関してはその二本柱になっていますね。

“リニボ”という愛宕自動車にしか出来ないこと

___営業をかけて取ってくる仕事というより、社会的な責任を果たしているというニュアンスですね。

愛宕社長:もちろん特装メーカーの指定工場をしていますので純正パーツが入手できます。 我々は各メーカーのボディ構造を細部にわたって理解しています。そこに父の代から始まったトラックの架装事業が組み合わさりました。架装と製作ができる設備、いろんな特装メーカーの特徴を熟知しているノウハウ、正規の部品が入ってくる指定工場の看板、これらを掛け合わせたら「トラックの再生」ができるんです。

___貴社の主力事業である旧いボディをリニューアルする「リニボ」のことですね。

愛宕社長:はい。再生をすると言っても綺麗に見せることなら他社でもできることなんですよ。塗装や単純なパーツの交換であれば我々でなくても出来ます。そうではなくて安全性だったり、荷役性だったり、実際の仕事において不可欠な機能を復元させる仕事を狙いにしているんです。例えば我々はキャリアカーの再生を多く行っているのですが、「愛宕でリニボしたら500キロ重くなった」と、それではダメなんですよね。受け入れした時に重量を測って架装した上で、新車時の重量に戻さなければいけない。そこを追求しているのは全国でも我が社だけだ、と思っています。

___なるほど。指定工場であるがゆえにできる事業とも言えそうですね。そもそも指定工場に認定されたのは、中津市という場所ゆえだったのでしょうか。

愛宕社長:その通りです。これが福岡だったりすると、あそこは極東だからあそこは新明和のサービス指定工場だから、とそれぞれの専業工場が存在しています。けれども大都市とはいえない中津市だからこそ、どのメーカーも「愛宕自動車でいいんじゃないか」ということになったのではないかと思うんですよね(笑)。

中西:そういう多くのサービス指定工場の認定を受けている会社は、スキャンツールのような最新機器の導入も早いんですよね。

自然に蓄積され、活用される技術資源

___そのノウハウもすごそうですね。疑問なのですが30社もの指定工場に認定されると、人材の育成が不可欠になってくると思うのですがいかがでしょうか。

愛宕社長:それは私自身、あんまり考えてこなかったですね(笑)。そこは専務が苦労してきたところじゃないかな。

愛宕専務:弊社としては技術というのは教えてもらうというよりは「盗みに行くもの」としてきたのが実感でしょうか。会社としての大事なところは、お客様の要望を我々の経験値を通して解決していくことです。これまでにない技術であればメーカーさんに問い合わせたり、出動していただいて教育を受けたりもします。これらを追求していくことが我々に自然に身についた技術の習得方法だと思います。さらにお客さんからの情報や蓄積してきた車両のノウハウといったひとつひとつの視点や学びを、全体で学ぶような機会もあります。

愛宕社長:その都度、教育や講習を受けたり訓練を受けたりする機会はあるとしても、そもそも愛宕自動車には人が育つ土壌がある、といえるかもしれません。弊社から社員に対して何かを勉強しろとか、これができるようになれと指示することはほとんどないんです。

___自発的に学びに行くのですね。

愛宕社長:そうです。社員同士で競争もしますし、向上心がありますし、例えば社員が何かを学びたいとか、設備を導入したいと言った時に出し渋ったことは一度もありません。それは父の代からそうです。仕事の出来にはうるさかったですから、なおさらそうだったのかもしれません。そんな社員たちの背中を後輩達が見てきて、ここまで繋がってきたということだと思います。本当に教育の部分で頭を悩ませたということは一度もないんですよ。

___ちなみにアルフレッドさんはエンジニアの成長についてどう思われますか。

アルフレッド:専務のおっしゃる通りで、盗みに行くつもりで成長してきたつもりです。ただ愛宕さんはすごく土台がしっかりしているので、環境がすごく羨ましくもあるんです。社内にキーマンとなる人材が非常に多くいるので、全体で一致団結しているような印象があって「弊社も見習わなければいけないな」と思うんですよね。

愛宕社長:そこは経営者としても有難いのです。一人一人が自分の役割をまっとうしてくれているので、非常に助かるんです。もちろん向こうから相談されることもあるし、気がつけばこちらから注意することもあります。でもこと細かく言うよりも、彼ら自身の主体性で動いてもらった方が企業の能動性は高まるんです。それと、そもそもこの人口も少ない中津市に腕の良い職人を採用して連れてくる、というのは相当に難しいことなんです。我々は経験者を探してきて採用するということは諦めています。それは父の代から、なかったことなんです。経験者は育てるしかない。人を育てなければやっていけない。そういう企業風土があるんですよね。

苦労した分だけ会社を成長させたリニボ

___ なるほど。そんな生え抜きの職人たちが集う愛宕自動車ですが、先ほど工場見学をさせて頂いて、入庫されてくる車の程度と逆に仕上がる車の素晴らしさの差に非常に感銘を受けました。そんなリニボに関するお話なのですが、これはどういった経緯で始まったプロジェクトなのでしょうか。

愛宕社長:確かお客さんから依頼があったんですよね。

愛宕専務:私が入社する以前から、キャリアカーについて補修という仕事はありました。ですが、17年ほど前に大手自動車メーカーの工場が中津市に移転してきたんです。それまではダンプを始め、建設機械を運搬する車は多かったのですが、そのメーカーさんの進出によってウイング車だったり、キャリアカーだったり、部品や完成車を運ぶ車の取り扱いが多くなりました。

___なるほど。

愛宕専務:弊社は当時、それまでやっていた認証整備事業だけではなく、指定整備工場としてステップアップしていました。またその大手メーカーさんの仕事に携わられる運送屋さんはキャリアカーだったり運搬車両だったりを綺麗に乗って、きちんとした整備を手がけられていました。なぜかと言うとそうでなければメーカーさんの仕事が請けおえないし、クレームが入るそうなのです。最初の作業内容はすべてサビを落として、車体を綺麗にしてほしいというリクエストでした。これまでの我々の作業内容でいえば整備単体が中心でした。キャリアカー一台まるまる補修してくれとなれば話は違ってきます。

愛宕社長:あのときは、いろいろ怒られましたね(笑)。

愛宕専務:トラブルが多発し、1台を仕上げるのに失敗続きでした。

愛宕社長:当時は専務も入社したてで、先方に可愛がられていたのも幸いしました。失敗しながらもやり直すチャンスを何度も与えてもらえたんです。私としてもリニボの仕事は全面的に弟に任せていましたから。

愛宕専務: ようやく一台を仕上げると、そのお客さんにどんどん仕事を紹介していただけました。中津で使用されている車以外にも、例えば広島県だったり、島根県だったり滋賀県だったり、遠方のエリアでお使いになってる車も「愛宕さんに入れるから」と入れてくれました。

___なるほど。

愛宕社長:でも本当にトラブル続きで苦労がありました。結局、解決策は設備投資であり、クレーム対策であり、人材投資の繰り返しだったんですよ。

愛宕専務:そうですね。ターニングポイントになったのが、車体工場とブラスト工場の設置です。そのおかげで格段と品質が上がりました。口コミでどんどん紹介の輪が広がっていきました。最初は数社だったお客様が、年々全国のお客様に広がっていきました。そうこうしているうちに「キャリアカー以外にもできないか」となりましたので、重トレなど「長持ちさせたい」というお客様のニーズに日々向き合っています。

循環型社会のモデルとして評価されたリニボ

愛宕専務:それと我々の主力商品であるエコロジーボックスのリニボも始まりました。現在では NEXCO 車両のリニボも受注を頂いています。実は昨年の2021年3月にグッドデザイン賞にチャレンジしようという話になったんですね。それまではリニューアルという言葉を使っていたのですが、受賞をきっかけにリニボに改名しました。そしてグッドデザイン賞の昨年のテーマが、「循環」だったんですね。

___リニボにぴったりのテーマですね。

愛宕専務:「希求と行動」をキーワードに「循環型社会に挑戦しよう」と。そのキーワードに貢献できるデザインが公募されました。我々はトラックボデーリニューアルというテーマでチャレンジして、1次審査、2次審査とクリアしてきました。そもそもコンセプトとして外観をきれいにするという、どこでもやれることではなくて復元再生、さらには刷新させるということですから。

___難易度があがっているんですね。

愛宕専務:リニボに付加価値を与えるように、従来の基準で作られたキャリアカーも現代基準の安全装置だったり、進化した荷役の機能だったりを付け加えることによって現代の交通環境に適合した車両に生まれ変わらせる。その点が評価されたんですね。キャッチフレーズは「地球に優しい技術商品」ということで、その点はすごく審査員にも評価されました。

愛宕社長:今回は技術商品ということで、受賞に至っているんですよ。エコロジーボックスのように製品単体のデザインとして受賞したのではなくて、考え方や技術によって評価されることができた。私としても非常に嬉しいんですよね。専務がリニボのプロジェクトをずっと主導してきたので、審査員にもその技術貢献が正しく伝えられたのだと思います。決して思いつきではなくて、この17年間の中で実績と苦労の中から生まれたプレゼンツールだったと思います。

___なるほど。

愛宕社長:それと気づきがあったのですが、整備というのは決められた工賃の中で設備投資や人材育成をやっていかなければいけない。業態としては今後さらに厳しくなっていくと思うんです。リニボはもっと完成度を高めていくことが出来れば、整備業界から新たな価値を提供できるツールになると信じています。我々が何台かリニボしたところで、地球環境に与える二酸化炭素の削減はたかがしれています。だけどリニボの価値が知られて整備業界全体で取り組むような事案になるならば、整備業界にとって一大ムーブメントになる可能性があると思います。資源が少ない日本だからこそ、リニボが受け入れられると思うんですよね。

___なぜこれまで業界全体がリニューアルボディの価値や意味を知らないで来たのでしょうか。

愛宕社長:これまでにもあるは、あるんですよ。

中西:ありますね。弊社もそれに近いことはやっていました。ただ僕が思うのはそれがリニボというひとつのアイコンに変わったことが、大きかったのではないかと思います。アイコン化したところで、そこにブランドと価値が発生するんです。極端なことをいうとデザインとコピーが「世の中の価値の7割から8割を生み出す」と言われていますよね。実際、そうだと思うんです。逆に言うと、トラック業界がようやくその価値をわかってくれる業界になりつつあるんです。

課題解決から生まれたエコロジーボックス

愛宕社長:それは中西社長の言う通りかもしれません。昔はスクラップ箱と言っていたのがエコロジーボックスと言い換えるようになってから、誰もがエコロジーボックスと呼ぶようになりました。これは決して弊社がそういう促進をしているわけではなくて、遠隔地の初対面のお客様でさえ、「エコロジーボックスはどうやったら買えますか」とお問い合わせいただくようになりました。

___そんなエコロジーボックスの話に移りましょう。工場内を見学させて頂いてエコロジーボックストレーラの多さに驚きました。エコロジーボックスは何年前に開発されたのでしょうか。また開発のきっかけは、やはりスクラップ箱の横が膨れてくるのを見かねてという感じだったんでしょうか。

愛宕社長:そうです。あれは誰にも悪気はないんです。でも見た歩行者は怖いし、対向車だって怖いですよね。エコロジーボックスの開発は10年程前、お客さんから「こんなのできないか」と言うリクエストから始まりました。その製品を見た別のユーザーが「紹介してくれ」と弊社に来ました。さらにそこに出入りしている運送会社が見つけて、弊社に来ました。

中西:口コミで拡がったんですね。

愛宕社長:印象的だったのが、それまではスクラップで鉄の箱に鉄を詰めるから「曲がっても仕方ない」と誰もが思っていました。鉄それ自体は重いですから、過積載にもなりがちです。積んでいくらという出来高制の人たちも多いから、たくさん積みたいわけです。たくさん積むと当然、ボディは痛みます。であれば頑丈にしなければいけないのですが、頑丈にすれば重量がかさんでしまいます。そういう矛盾があるんですね。

___たしかに。

愛宕社長:出した当時、熊本のお客さんに言われたことがあります。「エコロジーボックスは将来良くなると思いますよ。ただお客さんには2タイプいて、真っ先に飛びつく自分のようなタイプと、これからどうなっていくか、慎重にその劣化状況を様子見しているユーザーがいるだろう」と言われたんです。実際、当時造った車両が現役車両として動いているのを見て、次のユーザーの発掘にもつながってるんだなと思いました。

___だからこそ同時にエコロジーボックスのリニボも考えられたわけですね。

愛宕社長:そう。エコロジーボックスはなぜリニボを始めたかと言うと、これまで何度も何度もモデルチェンジをしているんですよ。見た目はあまり変わりませんけどね。製品の改良をなぜするかと言うと、常に弱点が見つかってくるんですよね。その弱点を克服するために改良してきました。

___弱点を克服しながら、製品を改良していくんですね。エコロジーボックスは熟成されている。そういった製品の開発においては貴社の高い技術力が象徴されていると思いますが、ジャパントラックショー2022で改めて高い架装技術を発表することができました。

愛宕社長:もともとはお客さんが弊社にお願いに来られたご依頼に対応する仕事なんですけど、我々としてもユーザーが何を求めているかを想像するんですね。その想像の中に一つの仮説が生まれるわけです。その仮説に対して行動するんですが、外れると大外れです(笑)。とはいえ、我々も過去の経験値がありますから大外れはまずしないんですよね。我々と近い世代の経営者やドライバー様達も多いので、自分達のアイデアを受け身より、積極的に外に出して行きたいと思っていました。そんな時にヨシノ自動車さんが手を引っ張ってくれたので、非常に感謝しているんです。

背中を押したヨシノ自動車

___どんな点でしょうか?

愛宕社長:例えば造った車をショーでどのように見せるかということは、我々には全くノウハウのないところなのです。弊社の工場長にアルフレッドさんが何度も電話してくれて、時にはこちらまで足を運んでいただいて、一緒に試行錯誤してあのような形になった。元々あった技術をヨシノ自動車さんに引き出していただいた感覚がすごく強いんですよね。それと同時に我々ならではの技術も、ヨシノ自動車さんがこのままで良いと言ってくれて残してくれてもいるんです。改めて気づいた事なんですが弊社は組織力には自信があるのですが、こういう前向きな話題が会社をさらに活性化させるんだなと。

___工場長はいかがだったでしょうか?

石元工場長::「トラックショーに出展できる」ということで社員のモチベーションも上がりましたし、お客さんが弊社のトラックに対して写真を撮ったり反応してくれている姿を見て、まだまだ他にもデザイン性の高いトラックや架装を見せたいという気持ちになりました。自分たちの技術力がその場で認められているわけではないのですが、非常に注目されている手ごたえがあったので大変、嬉しく思いました。

愛宕社長:やはりヨシノ自動車の力添えがなければ難しかったよね。

工場長:そうですね。見た目のポイントだったり見せ方だったり演出だったりは我々には難しいところでした。

愛宕社長:例えば私が垂れゴム(マッドフラップ)を「もっと見せた方がいいんじゃないか」と工場長に相談したら、アルフレッドさんが「あれは見えない方がいいんだ」と言っていたらしく、ああ、そういうとこかと(笑)。

___そういえば愛宕スペシャルを取材した時にアルフレッドさんが、すごくサイドバンパーのイルミネーションを褒めていました。愛宕さんの方から「これができる」と言われてアルフレッドさんには半信半疑だったらしいです。

愛宕社長:それは恒成(つねなり)と岡島という二人で施工しました。

恒成(生産事業部): FE という大切なロゴをいかに見せていくかをメンバーと話していて、アイデアを出し合った結果、形になりそうなものをアルフレッドさんに観ていただいたんです。そこにアルフレッドさんから照明のアイデアを頂いて出来ました。

岡島(企画開発):私はロゴをレーザー加工できるように設計しました。私はこれまでの長い業歴の中で自分たちを「修理屋の気持ちを持ったメーカー」と自認してきました。その意味では我々ならではの架装に出来たのではないかと思います。具体的には見た目が派手でも整備性にこだわっています。実際に使えるトラックとしての機能がしっかりしてるところが、我々のトラックだと感じられるところでもあります。

両社のコラボレーションはいかにして進められたか

___社内全体のモチベーションにもなったんですね。

岡島:そうですね。対外的にアピールできる機会になったのと、現場のスタッフも何名も会場に視察に行きました。

愛宕社長:中には関東の納車に合わせて「有給休暇をとって行きたい」というメンバーもいて、みんなトラック好きだし、良い機会だからと思って行けるスタッフは見に行かせたんです。

___素敵ですね。今回コラボしてみて、アルフレッドさんはどう思われましたか。

アルフレッド:最初に思ったのが「引き出しが多すぎる」ということでした(笑)。引き出しがありすぎて迷うんですよ。エンジニアの私は特に溶接が上手いわけでもないですし、センスを買っていただいたという立ち位置なんですが、引き出しが多すぎて依頼する方も迷う感じがありました。ステンレス加工もすごいですし、あれもこれもできる。最初は本当に圧倒されました。そこからお互いにどう良さを出していくか、工場長や社長の意見を訊きつつ話をしていく。あくまでもショーなので「技術争い」という部分があるんです。どれだけ見栄えが良くて、そこには高度な技術が使われているかということが大事なんですよね。

___なるほど。

アルフレッド:同時に「もっともっとはみ出してしまえ」って感覚もすごくありました。そういう意味では愛宕さんの良さとファストエレファントの良さがうまくブレンドされた一台になったと思います。技術はたっぷり詰まっている車なので、作っている段階で新たな気づきもいっぱいありました。トラックを学びながら、お互いを知りながら進められたプロジェクトだったので、次はもっといいトラックができると思っています。愛宕自動車さんとコラボするなら、実用性の高いトラックにしたいですね。

___引き出しきれない部分をどんどん掘り起こすような感じなんでしょうね。

アルフレッド:そうです。そうです。

愛宕社長:それが本当に我々としては有難いことなんです。社員の自信に繋がるし、こういう見せ方があるということで新しい発見になりますよね。やはり職人気質といって頭を硬くしちゃ駄目だな、と。柔軟にニュートラルに学んでいきたいですね。

___あのトラックを作るまでは UD のトラクタを何台か架装してヨシノ自動車で販売してましたよね。

愛宕社長: はい。お客さんからすれば買ったヘッドを自分で架装するんだったら架装メーカーに出さなきゃいけないし、打ち合わせに足を運ばなければいけない。出来上がったら出来上がったでその架装代がかかるわけです。ヨシノ自動車には基本的なカスタムが出来てるトラックが販売されているわけです。それってすごく魅力的な商品だと思います。このまま継続できれば、と我々は思っています。

中西:コンプリートカーですね。

分業制を高め、専門性をそれぞれが追求する

愛宕社長:我々としても決まった台数であってそれほど納期が厳しいものでなければ、工場の空いた隙間に入れていくことができるわけです。だからすごくありがたいんですよね。架装するための材料も「もう1台来る」と分かっていれば、そのぶん先を見越してカットしておいたり、入れておいたりすることができるわけです。生産性が良いんですよね。毎回感心させられるのですが、ヨシノ自動車はやはり「販売のノウハウがすごいな」ということです。それが常に学びになるんですよ。

___片方でどんなプロジェクトでも 架装技術の優れた提携先があるというのはヨシノ自動車にとっても強みですよね。

中西:そう。我々にできないことを大きく手助けいただいているので、お互いにない部分がうまく合致しているというのがこのプロジェクトの強みなんですよね。僕自身は職人ではないけれども職人はそれほど強く、見せ方を意識する必要はないとも思ってるんですよ。世の中にはデザイナーという仕事があって、さらにそれをプロモーションする専門の人たちがいるわけです。見せ方のプロがいるんです。ブランドがそうですよね。革のバッグひとつとったってそうです。革のバッグは、職人さんはデザインを一切やってませんよね。

愛宕社長:それぞれのプロがいるというのは原理原則かもしれませんね。

中西: もちろん職人がトラックショーを観るということはすごく大切ですよね。僕自身だってそうです。現場を見てどんな作業をしているのかとか、5年前と比べて溶接の仕方や仕事の進め方だったりが、どう進化しているのかを見るというのはすごく大事なことです。でも自分がその溶接のやり方を会得しようと思う必要はないわけです。知るという行為が必要なだけであって、やるべきことはまた違います。

___分業は効率を生みますし、それぞれの仕事の精度を高めてくれることになりますからね。今回の Flying ELEFANT というプロジェクトはまた次回もあるのでしょうか。

愛宕社長:もちろん我々はお声掛け頂ければ、その都度一生懸命やらせていただきます。逆に学べる機会を作っていただけたらありがたいなと感じています。今後のニーズで是非、アルフレッドさん検討してください。

アルフレッド:是非。今度はリアルクオンを作りたいなと思っています。実用的で運送屋さんに使ってもらえるようなトラックです。もうちょっと価格を落として実際的に使用できる想定をしたものですね。人気の仕様とカラーリングなんかを提案できればと思います。

中西:やはり世の中の8割のマーケットニーズですよね。販売的に正解なのはそっちなんです。我々のファストエレファントというのは、会社全体の売上の中では1割もないわけです。だからこそ理想を追求することもできる。そこのトップでやっているアルフレッドが気に入らないものはやらない、その仕様では「ファストエレファントのロゴは貼れません」と。ファストエレファントは「まだそれでいい」と思います。今後どこかでステップを上げる作業は必要かなと思いますが、それは勝手になるものだと思っていて、あくまでも認知の問題ですし、ファストエレファントは若いブランドでまだ始めて5年ですから。片方でそこのブランディングは強く進めたいんですよね。折れずに、我が道を行きたいですね。10年後のブランドは、もっと違って見えるはずです。

トラックの旧車ブームを創れるのは愛宕自動車

___最後に僕の個人的なお願いなのですが、愛宕自動車さんの技術力を見込んで、是非、旧車と呼ばれるトラックのレストア事業を手がけていただきたいんですよ。昔の鬼グリルのスーパードルフィンとか出てきたら、絶対人気になると思っているんです。それは九州発というところにも意味があって、実際に仕事に使えるレストアトラックが欲しい。これは再三、ヨシノ自動車にもお願いしているのですがなかなか腰が重いんですよね(笑)。

中西:再三聞いていますが、とても片手間でできる仕事じゃないんですよ(笑)。時間とお金をかけないとうまくいかないはずなんです。言ってることは分かるんですよ。みんなの空いた時間を見つけて1時間、2時間で乗用車の旧車を復活させるようなこともやってみたんですが、それでさえ全然進まないんですから(笑)。日々の仕事に追われるとなかなか厳しいんですよね。

___分かります。これは利益を出す仕事というより、まず情熱ありき。ロマンの仕事ですからね(笑)。私はこの目でトラックの旧車ブームをぜひ見たいんです。理想をいうと完全に仕事に使えるレストモッド(レストアとモディファイ)で、シャシーとエンジンは先代グラプロでエンジンはE13Cとかにして欲しいです。キャビンだけスーパードルフィンでいいんです。ちゃんと仕事をさせてあげたいから(笑)

ホットロッド風にレストモッドされた1947年製フォードCOE。シャーシベースを短くし日常の足として設計されている。(FORD.DAYLY.netより)

アルフレッド: キャビンを乗せるだけだったら行けるかもしれない。ただコンプライアンス的にどこまで行けるのかな。未知数すぎますよね。エンジンが新しいのだとすればその機能をどこまで使えるようにするのかとか、マッチングもさせなければいけません。単純にそれだけだと面白くない気もするし、どこに妥協点を探るのかというとこですよね。もちろん法律は遵守しなければいけないですから。

愛宕社長: 現実的に造る側からすると、新しい車を旧い車に見せる方がやりやすいかもしれないですね。昔の味はなくなっちゃうけどね。

___その手も面白いですね。ただ愛宕自動車なら、とことんリアルにこだわるべきですよ(笑)。レストアなら、V10のスーパードルフィンを復活させられたら最高すぎるんですけどね。

アルフレッド: アメリカのトラックだとエンジンの載せ替えは、よくやられてるんですけどね。

___日本のようにキャブオーバーじゃなくてフロントエンジンだからやりやすいのかもしれないですね。

中西:確かに九州にはまだ旧車と呼ばれるようなトラックがありそうな気がしますね。

___そうなんですよ。絶対あるし、九州発というのが良いんです。旧車トラックブームは九州発で決まりです。愛宕自動車では「新車のビッグサムが買えちゃうんだよ」って(笑)。それってすごいことですよ。本当に期待してします。

愛宕社長:頭には入れておきます(笑)。

愛宕康平様:代表取締役社長
1975年生まれ。大分県中津市出身。東和大学卒業。1998年、愛宕自動車工業入社。2016年8月、代表取締役社長就任。現在に至る。

愛宕和也様:専務取締役
1981年生まれ。大分県中津市出身。日本工業大学卒業。2002年、愛宕自動車工業入社。2020年6月、専務取締役就任。現在に至る。

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